2020年8月15日の今日、
吉祥寺MANDA-LA2で、ワンマンLIVE〜祈りの季節 vol.3〜を開催する予定でした。
苦しい決断でしたが、状況を鑑みて、6月の時点で中止とさせていただきました。
終戦記念日の8月15日にワンマンLIVEを演らせてもらえるなんて
祈りの季節冥利に尽きる、この上ないことだったので
本当に残念でなりません……。
1945年の8月15日から
今日で75年が経ちました。
もちろんその時わたしはまだ生まれていません。
「知ること」そして「想像すること」の大切さを思った旅の記録を、ここに綴ろうと思います。
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2017年8月 広島
8月5日の朝、広島に到着。
朝陽が眩しい。
路面電車に乗って原爆ドーム、平和記念公園、平和記念資料館へ。
原爆ドームの前で息を飲んだ。
約20年前に見た時と、あまりの印象の違いに愕然とする。
あの頃は唄をうたいに大分から出て来て
「唄う」ということだけに精一杯で
あの時は、ただ悲しい遺産という感覚だった。

2015年8月15日に発売したシングル「祈りの季節」
そのCDをバッグの中に携えて見上げた原爆ドームの印象は、絶望だった。
うだる暑さの中でゆらゆら蜃気楼が揺れていた。

平和記念公園にある、
原爆死没者慰霊碑とそのアーチの中に見える平和の灯、原爆ドームに手を合わせる。

奥に進み資料館へ。
その中で強烈にわたしの目に飛び込んできた1枚のモノクロ写真。
「焦土に咲いたカンナの花」
瓦礫の中に咲く、生き生きとしたカンナの花だった。
75年は草木が生えることはないと言われていたその土地に
そのわずか1ヶ月後に咲いたという。
涙が溢れて止まらなかった。
そのモノクロ写真からは、たくさんのキラキラした光が放出されていた。
絶望などと、わたしが軽々しく口にする言葉ではない、と猛省した。
たくさんの悲惨で無惨な展示物の中で
その1枚のカンナのモノクロ写真は、希望で満ち溢れていた。
思いを馳せて、想像することしかできないけれど
原爆ドームも含めこの広島の地は
こういったちいさな奇跡のようなかけらを、ひとつひとつ合わせて繋いできてくれた人たちによる、大いなる希望の遺産だと思った。

20年前に広島を出た時からずっと
広島で感じた思いを描きたくて、でも出来なくて……
もがいてもがいて10年
やっと出来上がった曲
「祈りの季節」。
その日の夕方
約10年ぶりに再会した音楽仲間にCDを手渡すとすぐに
「祈りの季節」が広島の空へと流れていった。
ただいま。
やっと、唄を持ってここに帰ってこられた。
20年前にこの街で、仲間たちと出会って、わたしの音楽活動が本格的にはじまったのだ。
唄いつづけてきてよかったと心から思った。

8月6日
快晴。
式典会場は多くの人で溢れかえっていた。
テント席には辿り着けず
敷地内の芝生で参加する。
8時15分、黙祷。
空を見上げると
それまで所々に薄く浮かんでいた雲が一気に消えて、
残ったのは青い青い空だけだった。
こども代表の平和への誓いに差し掛かかった時、
その次のプログラムが内閣総理大臣のあいさつだった為、デモ隊がシュプレヒコールのウォーミングアップを始めたことがとても残念でならない。
現在を憂うのはわかる。だが、それは今やるべきことなのだろうか?
未来を担って行くこどもたちの誓いを遮るようなおとなたちの行為に、憤りを覚えた。
そんな中、しっかりと言葉を紡いでゆくこどもたち。
「平和を考える場所、広島。
平和を誓う場所、広島。
未来を考えるスタートの場所、広島。
未来の人に、戦争の体験は不要です。
しかし、戦争の事実を正しく学ぶことは必要です。
(中略)
広島の子どもの私たちが勇気を出し、心と心をつなぐ架け橋を築いていきます。」
この声を離さないように、わたしはしっかりと耳を傾けた。
どうか
世界で唯一の被爆国、日本が
二度と繰り返さない、というお手本になりますように……。
祈りをこめて緑色の鶴を折った。
あの鶴は今も広島のどこかを飛んでいるだろうか。

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2018年8月 長崎
出発の前日からわたしはヒヤヒヤしていた。
関東地方に大きな台風が近づいていたからだ。
8月8日の朝、祈るような気持ちで運行状況をチェックする。
長崎行きの飛行機は定刻通り!
大雨の羽田を飛び立って眩しいほど快晴の長崎へ!
路面電車に乗って平和記念公園と原爆資料館へ。
川沿いを歩く。
73年前、水を求めてたくさんの焼けただれた人で埋め尽くされたこの川は
今は、アメンボを見つけてはしゃぐ学生を映しながら静かに流れていた。

資料館は
動の広島
静の長崎という印象。
根底にある深い哀しみは当然共通しているが
長崎の展示は、静かに流れる一筋の水の様だった。
静けさの中に、決して目を背けさせないという力強さがあった。

坂道を登り、浦上天主堂へ。
爆風で吹き飛ばされた像に、心がえぐられるようだった。
教会の椅子に腰を下ろし、美しい静寂の中、目を閉じる。
修道士さんたちが実際に使っていたものを集めてつくられたというロザリオを買った。

陽が落ち始めた街を歩く。
長崎は思案橋、勘を研ぎ澄ませて一軒のバーに入ると、大当たりだった!
オーナーさんがステキな人で、人見知りのわたしがすぐに打ち解けて、馴染みの店のようだった。
祈りの季節の話をしたら
CD持ってたら買うよ!今流すよ!って言ってくれた。
長崎に持って行かなかったことを反省……。
姉妹店の日本酒が呑めるお店にも足を伸ばすと、
そこもまたステキなスタッフさんや常連さんたちで
若い料理長の繊細な料理に舌鼓を打ち、みんなで乾杯をして盛り上がる。そして、そこの女店長を道連れにしてまたバーへと戻る。
人と人が仲良くなるのに重要なのは時間ではないな、と再確認をした夜だった。
はじめましての場所で、はじめましての人たちとの楽しい夜が更けて行く。
73年前の夜はどうだったのだろう。
戦中で恐怖の生活を強いられていただろう。
わずかな食べ物を分け合って、大切な人と食卓を囲んで大切な時間を過ごしていたかもしれない。
翌日、太陽が一番高く昇る頃、希望の象徴とも言われる太陽の光よりも眩しく激しい光に、この街は焼き尽くされる。
今があることに感謝をした。
2018年8月8日の夜は
美味しいお酒とお料理、笑い声溢れる、温かくしあわせな夜でした。

8月9日
寝不足の体に容赦なく太陽が照りつける。
式典会場へ。

式典スタッフにどうぞどうぞと導かれるままにテントの中央に空いているパイプ椅子に座る。
11時02分、黙祷。
被爆者代表田中照巳さん(照は旧漢字)の平和への誓いに涙がこぼれる。
35℃を超える灼熱の太陽の下、ご高齢を感じさせぬほどの力強い姿で、しっかりと言葉を伝えてくれる。
いつまで被爆者の方の声が聴けるだろう。
これまで、口にすることを躊躇われることも、きっと、あっただろう。
それでも、声にしてくれる。
「核兵器国とその同盟国は、信頼関係が醸成されない国が存在する限り、核抑止力が必要であると弁明します。
核抑止力は核兵器を”使用すること“が前提です。
国家間の信頼関係は徹底した話し合いで築くべきです。」
その声を大切に繋がなければならないと強く思った。
その誓いを聴き終わり、ふとすぐそばの柱を見上げると
「遺族者席」という看板が……!
そこからはなんだか気もそぞろ……。
式典が終わりテントを出ると、その後ろに「一般者席」の看板を付けたテントを見つけて苦笑い。
終始慌ただしい心模様だったなぁと空を見上げる。
そこには不思議な空があった。

路面電車を乗り継ぎ
世界遺産登録直後の大浦天主堂へ。
長い坂を登り切ったその上にそびえ立つ天主堂。
そこから街を見おろすと
坂道に並ぶお土産屋さんに、たくさんの人が賑わっていた。
みんな笑っている。
今ここにある平和を噛みしめる。
どうか
戦後という時代が
このままずっと、ずっと続きますように……。
ロザリオを眩しい空に掲げた。

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2020年8月 東京
9日
テレビ越しの田上富久市長の平和宣言。
「平和のために私たちが参加する方法は無数にあります。
今年 新型コロナウイルスに挑み続ける医療従事者に多くの人が拍手を送りました。
被爆から75年がたつ今日まで 体と心の痛みに耐えながら つらい体験を語り
世界の人たちのために警告を発し続けてきた被爆者に
同じように 心からの敬意と感謝を込めて拍手を送りましょう。
(拍手)
この拍手を送るという
わずか10秒ほどの行為によっても平和の輪は広がります。
(中略)
折り鶴を折るという小さな行為で
平和への思いを伝えることもできます。
確信を持って たゆむことなく「平和への文化」を根づかせていきましょう。
(中略)
地球に住む私たちみんなが“当事者”だということです。
あなたが住む未来の地球に核兵器は必要ですか?」
離れていても、田上市長の声がとても心に響きました。
今年は
新型コロナウィルスにて未曾有の大混乱の真っ只中。
今になって長崎にCDを持って行かなかったことを、ものすごく後悔して反省しています。
「今度来る時に持ってきますね!」と言ったものの、
長崎どころか、すぐ近くの街に出掛けることさえも出来難い状況になってしまうなんて……。
でも、反省したのならその反省を生かせばいい。
後悔はすれど、前を向いてゆこう。
知る努力をして、想像力をはたらかせて
そうやって歩いていこうと思います。
そしてわたしは今、自律神経失調症を患い
修繕と調律中です。
その中で最もつらいのが聴覚過敏症です。
高い音、大きい音、甲高い女性の声、お子さんの声、赤ちゃんの泣き声、電車のアナウンスの声、咳やクシャミの音、犬やセミの鳴き声、車の音、ブレーキの音、ヒールの音、ボールペンの芯を出し入れする音、食器と食器が触れ合う音……つらい音を挙げるとキリがありません……。
大好きな大きな笑い声も聴けない。
きっと、飛行機なんて乗れない。
大好物のお酒も呑めない。
唄うことも、この耳が許してくれない。
軽く交わしていた「またね」が
どんなに幸せなことだったかを痛感しています。
本当は今日、動画配信を考えていたのですが
今は無理がきかない状態なので、断念します。
ごめんなさい。
その代わりに
少し前に、体調がちょっとよい時に配信テストのために録画していたものになりますが(テストだったので顔も髪もアレも、アレでアレでアレですが……笑)
みなみなさまにお届けしたいと思います。
田上市長の声を聞いて
これは今のわたしに出来る
無数にある”平和のために私たちが参加する方法”のひとつなのかもしれない、
微力だけれど“平和の輪が広がる”かもしれない、
そんな思いをこめて
「祈りの季節」2020年夏版を
ここ限定でUPします。
よかったら一緒に、祈りの合唱をしてください。
きっと、届くと信じています。
どうか
核兵器が地球から無くなりますよう
この地球から戦争が無くなりますように……。

新型コロナウィルスも、わたしのからだも
この先のことがまだまだわからない状況ですが
わたしなりに今できることをしようと思います。
そして、みなみなさまとお会いできる日が早く来ますように……。
こころからの『またね』をおくります。
祈りの季節vol.3を待っていてください。
そしてどうか
みなみなさまもおからだをご自愛ください。
長い文章を
最後まで読んでくださり
本当にありがとうございます。
おおたなおこ